美味の後ろに風景があり、人がいる

  ワサビ

日本原産のワサビは応用無限の名脇役。
その使いこなし術。


ワサビ(山葵)は学名をワサビア・ジャポニカといって日本原産の植物。原種ともいえる野生の沢ワサビは、今でも全国各地の山中にひっそりと自生しつづけている。

北アルプス山中の或る渓谷、車道の終点から、ごうごうと流れる渓流を、さかのぼること4時間、原生林の中に私が隠し沢と呼んでいる、小沢にたどりつく。
水量豊富な本沢に比べ、小沢は苔むした岩がひしめいているだけの涸れ沢だ。ところが、岩を乗り越え藪をくぐり、ふっかふかの腐葉土を踏んでしばらくさかのぼると、小さいながら嬉々とした清流が現れる。
ブナやカツラの木立をかわし、倒木をくぐりぬけて下りてくる清流。その水辺を飾っている、ハート型の葉をした植物こそ、紛れも無く野生の沢ワサビだ。やわらかな緑のシダに混り、ハート型の、つややかな緑が林床のあちらこちらを埋めている。
山肌からほとばしり出た湧き水が、再び地下にもぐるまでの200メートル足らずの蛇行。2万5千分の1地図にさえ記載されていない小沢だが、私にとっては、とても大切な秘密のワサビ沢だ。ここで私は先ず、数本のワサビを抜くのだが、野生のわさびについている「いも」は、小指の頭ほどの小さな物ばかりだ。
ついでに源の水をペットボトルに詰め、本沢まで下り、定位置にテントを張り、岩魚を釣る。
シルバーグレーのボディーに、天目陶器のような白い水玉文様が美しい岩魚は、木の枝で作った串に刺し、塩を振り、焚き火のへりに立てる。
流れに沈めておいた酒を、ワサビの茎のおひたしでやりながら、ペットボトルの水で飯を炊く。残りの水を沸かし、香ばしく焼いた岩魚の頭と骨で出しをとる。コッヘルの飯に岩魚の身をたっぷり乗せ、生醤油を滴々っと垂らしたら、岩魚の出し汁をかける。仕上げは、おろしワサビをこれでもかと乗せて・・・野生の岩魚に野生のわさび、彼らを生み出した水、それを一つにして食べる贅沢。この谷で何万年も続いてきた野生の営みに思いをはせつつ酔いしれていく。
えっ・・・隠し沢の場所・・・それは・ヒ・ミ・ツ

「めったに主役になれないが、絶対に外せない名脇役」私がワサビのことを語る時の決まり文句だが、さて、その名脇役を使った料理をいくつか御紹介しよう。
先ず「ワサビスパゲティー」。茹で立ての麺にバターをからめ皿に盛る。その上に、イクラ、イカ、スモークサーモン、茹でエビ、といった魚介類や、ガリ、青ジソ、きざみ海苔などをのせ、レモンとおろしワサビを添えて出来あがり。ちらし寿しの寿し飯を、バター風味のスパゲティーに替えたようなものだ。レモンを全体に絞りかけ、しょう油を回しかけたら、ワサビと和えながらいただく。
ワサビスパゲッティー
トッピングの具は、上記にこだわらず、タコ、貝、カニ、マグロなど何でも使えるが、錦糸玉子など乗せたら、なかなか洒落た料理になる。他の料理の付けあわせにする時は、海苔か青ジソだけのシンプルなワサビスパもおすすめだ。スパゲティーを「バターライス」に替えても美味しい。いずれにしても、バター、しょう油、わさび、この三者の相性の良さは、色々な料理に応用出来る。

三者の相性といえば「上條風磯辺もち」。もちを焼き、仕上げにしょう油を付け焼きしたら、薄切りのバターと、おろしワサビをたっぷり乗せて海苔で巻く。一呼吸おいて、バターが半分溶けかかったところをいただく。

もちといえば、ワサビ漬けにしょう油を混ぜ、焼いたもちに塗って食べるのも意外にうまい。それを海苔で巻くのも可。

ワサビの花芽は普通おひたしで楽しむが、これの「花芽天ぷら」がとても美味。葉や茎も天ぷらでうまいが、茎はきざんで他の野菜や魚介などと、かき揚げにしても良い。これを試したらワサビは、葉、茎、花芽、いも(根茎)、根、と全てが捨てられなくなる筈。

タルタルソースにおろしワサビを混ぜる「タルタルワサビ」も覚えておくと役に立つ。魚料理などに使えば、結果は保証する。好みでしょう油を隠し味に使っても良い。また、ワサビの代わりにワサビ漬けを使うのも方法。タルタルソースなんか面倒だという方は、マヨネーズで同様にしてもうまい。
ワサビの花

次は「玉ワサビ」。おろしワサビを豆粒のように丸める。小鉢に片栗粉をいれ、中ほどを若干くぼませる。丸めたワサビ玉を一粒ずつ粉の中央におき、小鉢を揺すってワサビ玉を転がし、玉の表面を完全に白くする。それを、手鍋に沸かしておいた湯の中に、そっと落として表面の粉が透きとおりかけたら(ワサビまで火を入れぬこと)、すくい上げ氷水に放す。すくい上げ、ラップで包んで冷蔵保存。これを、お吸い物に二三粒浮かして楽しむ。箸で玉を割ると、椀の中に爽やかな香りが広がる。泣かしてやりたい相手には甘露飴ほどの大玉で、そっとお出しすること。辛味が長持ちしないので早目に使い切る。

次は「ローストビーフのたれ」。焼き上がったローストビーフを天パンからどけて、天パンに残った野菜や肉汁の上に赤ワインをゴボゴボと注いでコンロの火にかける。
野菜や肉汁のうまみをワインに溶かしたら、汁をこして手鍋に受け、しょう油を好みで加え再び火にかける。好みの濃度まで煮詰めたら冷して、表面に固まった脂を取り除けば完成。使う時におろしワサビを混ぜる。このグレービー・ソースは冷温両用だが、あまり熱いのにワサビを混ぜると、辛味がうせてしまう。味?味は抜群の完全保証。
春、北アルプスを流れ下った雪解け水が、安曇野を潤す。

この他、軟らかくしたバターと混ぜた「ワサビバター」や、ドレッシングにまぜた「ワサビドレッシング」などは簡単にして、応用無限。

(ワンポイントアドバイス)ワサビをバターやマグロのトロ、サーロインステーキなどのような脂肪分の多いものと組み合わせる時は、多めに使う。ワサビの辛さが脂肪分によって中和されてしまうからだ。それからワサビは香辛料、辛さと同じくらい風味が大切。
必ず本物のワサビを使いたい。硫黄臭やニンニク臭のするような、粉ワサビやチューブ入りワサビに名脇役がつとまるはずがない。ワサビこそ、その香りの中にある風景を味わってほしい食材だ。

ワサビはその都度使う分だけおろし、残った部分は湿らせたキッチンペーパーでくるみ、さらにラップでくるんで冷蔵庫に入れておけば、半月ほども保存出来る。表面が黒くなっても、表面だけ削り落とせば充分使える。
春の大王わさび農場 大自然と人間
の合唱から生まれた、美味美景


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