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美味の後ろに風景があり、人がいる
実況 そば対決
人一倍の親近感と、人一倍の緊張感。
そば職人と水の永遠の宿命・・・ |
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水はそば屋にとって、そば粉の次に重要な食材でありながら、「そばを生かすも殺すも、水の使い方次第」と言えるほど、大切な道具でもある。
ところがこの道具、おいそれと使いこなせる相手ではない。それは使うというより戦いに近く、そば職人が勝って水を生かすか、負けて水に全てを台無しにされるかの、真剣勝負だ。
しかも全ての戦局において、職人が勝っている時だけ水は万能で働くが、職人が一手でも誤ると水は豹変し、全てを台無しにしてしまう。
事実は小説より奇なり、職人と水との戦いを、実況中継風に紹介してみたい。
「さて、打ち場(そばを打つ部屋)を舞台に戦いが始まりましたが、水は地下から汲み上げた天然水ですね」
「相手にとって不足無しですね。彼は茹でる時も、さらす時も、いつもあの天然水を相手に戦うそうですよ」
「今回は二八そばですから、そば粉八に小麦粉二で混ぜられて、いよいよ水回し(粉と水を混ぜる作業)です・・・ずいぶん慎重に水を量ってますねえ」
「1gにこだわって量っている筈ですよ。上條では、1.5kgの粉に対して約700gの水を加えるようですが、この水の量は、粉のコンディションや打ち場の気温、湿度なんかで毎回変わるんですね。しかも、たった5g変えただけで、おや?と気付くほど、打つ時の感触が違うものらしいですよ」
「どうりで先程、他の人がドアを開けっぱなしで出ていった時、職人が慌てて閉めたわけですね・・・おっ!水を手にして職人の顔に緊張がみなぎった・・・水が入った・・・すかさずかき混ぜ始めた・・・速い速い、一気にかき混ぜている」
「ここは両手に神経を集中して、素早く丁寧に、大胆かつ繊細に決めてほしいですね。
力んで水が回らないうちに小麦粉のグルテンを呼び出したら負けですから。かといって、もたもたしていてもグルテンが出てきてしまう。この1分間に、あのそばの運命が掛かっていますからね」
「そばをつなぐのにグルテンがいるんじゃないんですか?」
「そうなんですが、先ず粉の粒子の一粒残らずに水を回しておきたいんですよ。グルテンが先だと、これが粉をダマに包んで水が入れなくなるんですね。後でいくらこねても手遅れなんですよ」
「おおっと!グルテンが出たがっている・・・間に合うか、間に合うか・・・職人の手付きが変わった・・・あんなに水を入れたのに、全体がサラサラしてきましたねえ」
「良いですね・・・あの感じだと大丈夫でしょう」
「あれ?ダマダマになってきましたよ・・・大丈夫ですか?」
「ここからのダマダマは大丈夫」
「ダマダマがまとまり始めた・・・大きなゴロゴロの塊になってきたところで、職人が一つにまとめてしまった」
「勝負ありですね・・・後はこねて玉にするだけですから」
「いやーっ、水回しっていうのは、科学と感覚を一体にした、水芸みたいなものなんですねえ」
「水回しだけじゃなくて、そば屋の全てが水芸で成り立っているんですよ」
「これが本当の水商売ですね」
「・・・・・」
「いよいよ延し台に玉を乗せて延し始めました・・・麺棒を三本操って反物みたいに延して捲いて、なかなか器用なもんですね・・・ところで水との勝負は一時休戦ですか?」
「とんでもない、戦いの真っ最中ですよ。もたもた延していると、生地が象の肌みたいにひび割れてしまいますからね。そばが風邪をひく、と呼ぶ現象ですが、これは水分の蒸発によるものなんです。そんなそばは、切れやすくて貧相で食感も最低です」
「水とのスピード勝負ですね」
「ええ、玉を延して、たたんで、切って箱に入れるまでに15分以内なら勝ち、といったところでしょうか。もちろん速いのはいくら速くても良いんですよ。速いほど食感の良いものになりますね。ただし、あくまで丁寧に速くということですが・・・」
「打ち終わったようですね。そばを食うなら三たて(挽きたて、打ちたて、茹でたて)でっていいますから、さっそく茹でていただきましょうか」
「いや、待って下さい。その打ちたてっていうのは少し違いますよ。ほら、彼は生舟(そばを入れる箱)を冷蔵庫に入れちゃったでしょ。本当は打ってから30分ないし1時間ていど寝かせた方がいいんです。粉と水分をなじませるためで、寝かさずに沸騰した湯に入れると、浮き上がってしまうし、生そばをアルファー化するための熱伝導がスムースにいかないんですよ」
「さて、一時間の休憩を挟みましたが再開です。舞台は厨房に移りまして、職人は大きな釜の前に構えております。ずいぶんな大釜ですが・・・」
「大量の熱湯と冷水を操って生そばを、そばという料理に仕上げる最後の戦いですね。釜前(かままえ)と呼ぶ熟練を要する仕事です」
「おっと職人がそばを手にした・・・あれ?四人前たのんだのに、ずいぶん少ないそばですねえ??」
「おそらく2人前づつ2回に茹でるんでしょう。あの釜でも三人前までが限度ですね」「えーっ、二十人前でも茹でられそうな大釜ですよ?」
「ゆったり茹でないと食感が別物になってしまいますからね」
「なるほどー・・・火力を全開にしましたね・・・おーっ!特殊な設計になっているのか、中の湯が上下にグルングルンと回転を始めました・・・そばがはらはらと放された・・・職人の目が時計の秒針と釜の中を交互に見詰めている・・・回転しながら泳いでいるそばの一本一本を100℃の熱湯がアルファー化してゆくーっ・・・二十秒経過・・・三十秒経過、おっ、三十秒で取手付きの大きなザルを入れた・・・まとめている・・・まとめて・・・すくい上げた・・・40秒経過で一気にすくい上げて・・・ボールに張った冷たい地下水に放した・・・2回3回と水を変え、すすいで、しめて・・・今、盛り付けられました」
「早速いただいてみましょう。
水との勝負に全勝していれば、艶やかでぷりっとした、コシのあるそばになっている筈ですよ。
噛むとプツンと切れて歯にぬからず、咽越しさわやかな・・・さて、どんなものでしょうか・・・」
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